別れ、慟哭、そして・・第39話。「あの微笑はもう還らない!」
元衛兵隊は、討伐軍に左右から囲まれて、弾丸の嵐の中、強行突破を敢行する。手負いのアンドレはアランが抱えて騎乗している。 オスカルの強行突破の動機は、「当たらなければどうという事はないbyシャア・アズナブル(機動戦士ガンダム)」とは違い、「アンドレを死なせてはならない。血を噴くアンドレの胸の傷はオスカルを逆上させていた。アンドレを助けるためならばもう恐いものなんかない」だったそうだ。オスカルぅ〜!ここのオスカル、わたしは死ぬほど好き!いくらフィクションでも如何なものかとは思うけど、好きなものは好き!
元衛兵隊は何とか包囲網を突破して広場に戻る。そして、顎で呼吸し始めているアンドレのために、ベルナールの呼びかけで10人を超える使えない医師たちが集まってくる。
鳩の羽音と教会の鐘の音を聞いて「陽が沈むのか?オスカル」「今日の戦いは終わった。もう銃声ひとつしないだろう?」「鳩がねぐらに帰っていく羽音がする。」
ベルナールが医師に病状を尋ねると、「弾は心臓を真っ直ぐに貫いている。まだ息があるのが不思議なくらいです。残念ですがもう手の施しようが・・。」心臓を弾が貫いていて息があるというのは、不思議なんじゃなくて、おかしいんですけどね!
「どうしたオスカル、何を泣いている?」「アンドレ。式を挙げてほしい。この戦いが終わったら、わたしを連れて地方へ行って、どこか田舎の小さな教会を見つけて、そして結婚式を挙げてほしい。神の前でわたしを妻にすると誓ってほしい。」「もちろんそうするつもりだよ。でもオスカル、何を泣く?俺はダメなのか?」「何をばかな事を、アンドレ!」「そうだね。そんなはずはない。全てはこれから始まるのだから。俺とお前の愛も。新しい時代の夜明けも。全てがこれからなんだもの。こんな時に俺が死ねるはずはない。死んでたまるか。」アンドレの見開いた右目から一筋の涙が落ちる。「いつかアラスへ行った時、2人で日の出を見た。あの日の出をもう一度見よう。アンドレ。あの素晴らしかった朝日を。2人で。2人で生まれて、出会って、そして生きて本当に良かったと思いながら。」そうオスカルが語りかけた時、アンドレの見開いた右目は、既にまばたきをしていなかった。「アンドレ!私を置いていくのか!」オスカルの号泣する声が響き渡る。
このように、アニメ版のアンドレの最期の場面では、オスカルもアンドレも饒舌だった。が、原作だと、オスカルが水を汲みに席を外した間にアンドレが事切れていたので、いくらも言葉を交わしていない。それでも、瀕死のアンドレを運ぶオスカルの「なぜわたしは女だ?こんなにも・・指揮さえ続けられないほど、どうして女だ? (原作より引用)」という短い台詞は、指揮官としてのオスカルと女性としてのオスカルのバランスが一時的に崩れていく様を充分に表現していたし、死の直前にアンドレが口ずさんでいた「ときはめぐりめぐるとも、いのち謳うものすべてなつかしきかの人に、終わりなきわが想いをはこべ、わが想いをはこべ。ああ青い瞳その姿は、さながら天に吼ゆるペガサスの心ふるわす翼にもにて、ブロンドの髪ひるがえし、ひるがえし・・ (原作より引用)」という、ジェローデルも真っ青になりそうな耽美的な歌にもアンドレのオスカルへの想いが十二分に溢れていたと思う。
話をアニメ版に戻す。アンドレの遺体が安置された小さな教会の玄関前に、オスカルは1人肩を落として腰掛けていた。一方、生き残った衛兵隊員達はカードゲームをしているが、生前のアンドレは一度も彼らとカードゲームをやらなかったそうで、今夜は皆あまり気乗りがしない様子。
「隊長はどうしてる?まだ教会の前か?」とアランが1人立ち上がり、オスカルを見つけ、今夜は冷えるぜとコートをかけてやる。 7月って夏のはずだが、パリの夏って、夜はそんなに寒いのだろうか?「隊長!安っぽい慰めは言いたかないが、アンドレは幸せ者だよ。あんたへの思いが一応通じたんだからな。元気出せや。」元気が出るはずのないオスカルは、明日からの指揮をアランに依頼するが、「やめなよオスカル。そんなこと言い出したらキリがない。あんたの深い苦しみとは比べようもないだろうが、奴が逝っちまって傷ついているのはあんただけじゃない。」と断られる。アランも泣いている。アニメ版のアランは、最初からアンドレ大好きだったから、オスカルのように堂々と号泣できなくて、かえって辛かったのかもしれない。
「朝までには、みんなの前に顔出してくれよな。すべては、これからなんだからよ。」と精一杯の譲歩をしてアランが去った後、オスカルはいきなり咳き込み喀血する。フラフラと路地裏に入り込んだ先には愛馬が待っていた。愛馬にアンドレと2人乗りしている光景がオスカルの脳裏に浮かび、またオスカルは涙するが、愛馬が遠乗りに行こうぜという仕草(散歩に連れてけという犬みたいでかわいかった)をしたので、乗って走り出す。が、まもなく見張りの兵士に見つかり発砲され、愛馬が倒れる。「謀反を起こした衛兵隊の女隊長だ、捕えろ!」と兵士たちが集まってくるが、剣を抜いたオスカルが泣いているのに気がつき、腰が引ける。絶叫してから、「愛していました。アンドレ。おそらく、ずっと以前から。気づくのが遅すぎたのです。もっと早く、あなたを愛している自分に気がついてさえいれば、2人はもっと素晴らしい日々を送れたに違いない。あまりに静かに、あまりに優しく、あなたは私のそばにいたものだから、私はその愛に気がつかなかったのです。アンドレ、許してほしい。愛は裏切ることより愛に気づかぬ方がもっと罪深い。」泣きながらこう語り、怪訝そうな兵士からの攻撃をやり過ごし、逃げ切った先で、「アンドレ、答えて欲しい。もはや全ては終わったのだろうか。」
一方、仮眠中のアランに隊員から、「隊長が見当たらない」と報告が入るが、「朝までには帰ってくるだろう」とアランは動じない。そこへ雨が降ってくる。
雨に打たれ咳き込むオスカルのそばを、今まで何度か登場したバンドネオンの奏者が、遺体になって息子らしき少年に抱えられて登場する。故人の希望通り遺体をセーヌ川に流した後、少年はバンドネオンの弾き語りを始める。「セーヌの流れは止まりゃしない。(父ちゃんの口癖だった)それでも、セーヌはいつも流れる。悲しいこと辛いこと、全てを飲み込みセーヌは流れる。ずっとずっと夜は続くが、やがて日が昇り、明るい朝の中で涙した人はドアを開く。するとそこに、いつものようにとうとうと、セーヌが優しく流れている。」
夜明け前、アランはベルナールに呼ばれ、「バスティーユを攻撃する」と打ち明けられる。「昨日、バスティーユに大量の火薬が搬入され、大砲の向きがパリ市街方向に変えられた。国王がわれわれに戦争を仕掛けてきたと解釈すべきで、今、各広場に集まった人たちと連絡を取り合っている」と。「おそらく誰もが同じ意見で一致するでしょう。バスティーユを墜とせ!」
ベルナールの報告、提案を聞いたロベスピエールは、「わたしの筋書きにはない」と難色を示すが、「革命は筋書きではありません。セーヌの流れのごとく、大衆の心のままに進み行われるものとわたしは信じます。一応ご報告までと思ったんですが、来なければ良かった。」返事を聞かずに背を向けたベルナールに、ロベスピエールは、「よし認めよう。だが忘れるな、リーダー無くして革命は成功しないぞ!」と後ろから叫ぶ。
ナレーションによれば、「バスティーユ攻撃が名高いのは、体制側と民衆の大きな戦いだからではなく、初めての民衆の意思統一による行為だったから、つまりロベスピエールなどの革命側のエリートによる煽動ではなく、心から新しい時代を求めた名もない市民達の、自然発生的な団結によるものであった事に大きな意味があったのである」との事。そして1789年7月14日朝、市民達はアンバリッドで36000丁の銃を奪い、その足でバスティーユへ向かった。
路地裏で寝落ちしていたオスカルは、バスティーユを目指す民衆の声で目を覚ます。「オスカル!こんなところで何をしている!誰もが銃をとり、戦うためにバスティーユに向かった!だが、きみが率いる衛兵隊はまだ広場だ!広場で隊長を信じて待っている!」そうオスカルに語りかけた衛兵は、アンドレの姿でアンドレの声だった。が、直後に「隊長!」と呼んだのはアランだった。「あんたと共に戦おうと、皆あんたの帰りを待っている。」オスカルは、アランに借りたコートを返して、「いつまでも皆を待たせてはいけないな」と言い、もう一度だけ泣いていいかとアランの胸を借りて声を上げて泣く。
午後1時、本格的に戦闘が始まるが、頑丈な城壁と大砲の威力に市民側は苦戦し、犠牲者は増えていく。市民側にも12門の大砲があるが、誰も使い方を知らない。その事実にベルナールが驚愕していると、遅くなってすまんとオスカル以下元衛兵隊が到着し、大砲の操作を引き受け、発射準備を整える。「発射角45°、狙うは城壁上部!」オスカルの号令で発砲が始まる。バスティーユ側の指揮官ドローネは、射撃窓の影から、オスカルが前面に立って発射の号令をかけているのを見つける。「狙いをあの指揮官に絞れ!一斉にだ!」
「撃て!」ドローネが号令をかけた時、オスカルはふと空を飛ぶ一羽の鳥を見上げており、次の瞬間、倒れた。そういえば、アンドレが死の直前、鳩の群れを気にかけていた。鳥を見てアンドレの事を思い出していたのだろうか。
原作でも、オスカルは最前列で指揮を取っていて狙い撃ちされていた。そこを初めて読んだ時、「これじゃ、わざわざ撃ってくれと言ってるようなもんだわ」と思ったが、読み終わってから、「オスカルはアンドレの後を追いたかったんだよね」と妙に納得した記憶がある。
ところで、原作とアニメ版では、終盤のオスカルとアンドレのエピソードがだいぶ違う。原作では、父に刃を向けられてアンドレに助けられた後(アニメ版では35話) に、オスカルからアンドレに愛の告白をしており、その後も、喀血して気弱になったオスカルが、「わたしをひとりにしないで」とアンドレにすがりついたりしていた。「アンドレ・グランディエの妻になった」ところも、出動前夜に、オスカルの部屋で時間をかけて営まれていた。いずれの場面も、饒舌な言葉のやり取りと美しい2人の姿の熱量はすざまじく、はじめて読んだ当時の胸の高鳴りは、いまだに褪せない記憶として残っている。尚、アニメ版では前二者は割愛され、 「アンドレ・グランディエの妻になった」ところは、ジャルジェ家を出発した後の屋外で、無数のホタルが見守る中で手短かに行われている。
一方、アンドレが絶命してからのオスカルの悲しみは、アニメ版のほうが長い時間を割いて描かれている。非戦闘時ではあるが職場放棄はするし、馬は犠牲になるし、敵からはキチガイ認定されて散々なのだが、アンドレへの思いを切々と語り、正気と狂気の境を彷徨うオスカルは圧巻だ。一方、原作ではアンドレ亡き後、戦闘が再開されるまでの間の一晩は、紙面上とても短かった。それでもオスカルの絶望と慟哭は充分伝わってきたと思う。「いっそこの胸をえぐりとってくれ!わたしを石にしてくれ!さもなくばくるわせてくれ!(原作より引用)」アニメ版と原作、このパートに関しては、いづれも甲乙付け難い名場面だったとわたしは思う。