最近知ったのだが、ロザリー・ラ・モリエールという名前の女性は実在した。史実の彼女は、1763年生まれ、平民、靴職人の娘、文盲、未婚で娘を出産、晩年は健康を損なって施設で暮らしたが80歳くらいまで生きていたとの事。コンシェルジュリー牢獄には6年勤務し、アントワネットのみならずデュ・バリー夫人やロベスピエールなど、他の死刑囚の世話もしたそうだ。優しさと強さを併せ持つ素晴らしい女性だったのだろう。そして、その女性の人生が、「ベルサイユのばら」の中で、原作者の池田理代子先生により鮮やかに創作された。貧しかった少女時代にオスカルと出会い、青春時代をジャルジェ家で貴族の娘として過ごし、やがて革命家の妻として激動の時代を生き(「エロイカ」より)、夫の死後は息子と共に死線をくぐりぬけて異国へ亡命し、晩年は穏やかに過ごして天寿を全うした (「エピソード編」より)というベルばらロザリーの人生は、史実のロザリーに対する池田先生のリスペクトと共感の現れだったのではないか、と勝手に推察させて頂いている。
ベルばらのロザリーには複雑な出生の秘密があった。かつてバロア家の末裔の貴族の家で女中をしていた養母は、当主の手がついてジャンヌを出産。やや遅れて、嫁入り前の他家の令嬢(のちにポリニャック伯夫人)も当主と通じてロザリーを出産。その矢先に当主の家が没落し、養母は令嬢からロザリーを引き取り、実娘のジャンヌを加えて3人、パリの下町で細々と生活していた。ジャンヌは不満と欲望の塊のような娘に育ち、ある日、物乞い目的で近づいたブーレンビリエ侯爵夫人に引き取られて家を出る。
その後、養母は健康を損ない、ロザリーが働きに出て生活を支えていたが、不景気で失職。万策尽きて ブーレンビリエ家のジャンヌを訪ねるが、ジャンヌの恋人と名乗るニコラスに鞭で追い払われる。そして帰り道に出会った男から体を売るよう求められて逃げるが、お金のためと思い直し、たまたま走って来たオスカルとアンドレの乗る馬車を止めて売春を試みるが当然拒否され、1リーブル金貨を無償で施される。
その後、ようやく再就職先が決まった矢先に、養母が貴族の馬車に轢かれ、馬車の主のポリニャック伯夫人に「文句があるならベルサイユにいらっしゃい」と逃げられ、養母はロザリーに「お前の実母は貴族で、マルティーヌ・ガブリエル・・」と言い残して死亡する。
ここまでのロザリーはまさに聖少女だった。貧乏に文句ひとつ言わず、病弱の養母を気遣い、あんな姉(ジャンヌ)でも憎まず疎まず、隣人の子(ピエール)にも優しく接し・・。だが、養母を殺され埋葬を済ませると復讐の鬼と化し、単身ベルサイユへ向かい、夜、宮殿と思い込んでジャルジェ家の庭に忍び込む。そこへ帰宅してきたオスカル母をめがけて短剣を手に突進するが、ひき逃げ犯の貴婦人とは別人だった。
事情を知ったオスカルは、ロザリーを貴婦人に育て上げて宮廷に出入りさせ、養母の仇である貴婦人を探し出し、実は貴族だという実母探しもするという「ロザリー救済プロジェクト」を開始。ほどなくポリニャック伯夫人とロザリーはアントワネットの御前で再会を果たし、ロザリーは短剣を握りしめるが、オスカルはそれを制止してポリニャック伯夫人にひき逃げの件を耳打ちして脅迫する。
ところが今度は危機感を募らせたポリニャック伯夫人がオスカル殺害を計画し、アントワネットからの急な呼び出しと偽ってオスカルをおびき出し、刺客に襲わせる。 オスカルとアンドレ2人で応戦する中、刺客の1人が馬車内のロザリーに近づき、それを阻止した際にオスカルが負傷。アンドレも1人で何人か相手にしており身動き取れず。 たまたま通りかかったフェルゼンに助けられた。この時ロザリーがこの場に居合わせたのは、呼び出しを受けたオスカルが、躊躇なく自分との約束を中止して出かけようとした事に不満を爆発させて無理矢理同行していたからで、結果足手まといになってしまった。幼少期に不安と背中合わせで自分の気持ちを抑えて過ごしてきたロザリーが、ジャルジェ家という安住の地に辿り着き、時には甘えてみたくなる気持ちはわかるのだが、このエピソードではちょっと度が過ぎたようだ。
その後、ロザリーの実母がポリニャック伯夫人と判明し、異父妹のシャルロットが自殺して、異母姉のジャンヌが首飾り事件の首謀者として逮捕されるも何者かの手引きで脱走し、ジャンヌをネタにポリニャック伯夫人に脅迫されたロザリーは、泣く泣くポリニャック家入りを決意する。が、シャルロットの自殺の原因となったド・ギーシュ公爵との結婚を、今度は自分がさせられる事になり、ポリニャック家を出奔する。
ここまでのロザリーの軌跡は、原作とアニメ版でおおむね大同小異だが、シャルロットの自殺の前後がだいぶ違う。 原作のロザリーは、シャルロットが結婚問題に悩むようになってからは優しく接しており、飛び降りる直前のシャルロットをオスカル達と共に探し回っていた。しかし、第19話「さよなら妹よ!」のロザリーは、生前のシャルロットの寝顔を前に「ポリニャック伯夫人は私の母じゃない。だからこの子も私の妹じゃない」と言い放ち、シャルロットの死の際には「悲しくなんてない。 いくら血が繋がっていると言われても、一緒に暮らした事もない。言葉だって、1-2度交わしただけ。血が繋がっているからと言って、愛が持てるとは限らない。血の繋がった赤の他人がいたっていいわ。」と、凛として語る。が、直後に「死んだんです!オスカル様!私の妹が!名乗り合う事もなく、死んでしまったんです!かわいそうに!私の妹が!たったの11で・・!」と泣き崩れる。ポリニャック伯夫人への憎しみに囚われて、11歳の若さで絶望の淵に立たされていた妹まで拒絶してしまった事が、妹の死を機に心に突き刺さってきた・・といったところだろうか。
ロザリーの失踪後、夜のパリで黒い騎士を追っていたオスカルが返り討ちにあい、負傷して近くの民家に迷い込むが、そこはロザリーが旧知の中年女性と住む家だった。再会を喜んだ後、出された具の乏しいスープが精一杯のおもてなしと知ったオスカルは、自身の置かれた立場と庶民の実態を思い知り、驚きと感謝の言葉を切々と語り、涙を浮かべて食す。原作でのこの場面は屈指の名場面なのだが、 第26話「黒い騎士に会いたい!」では簡略化され、「こんなに美味しく暖かいスープは久しぶりだ」とあっさり言って淡々とスプーンを口に運んでいた。第13話「アラスの風よ応えて・・」で、オスカルはすでに庶民の実態を思い知っていたので、ここであからさまに驚くわけにいかなかったのだろうか。
ロザリーは、同居のおばさんが昔の隣人で良くしてくれる事、自分は市場で働いている事などを語るが、原作では直後にオスカルと一緒に嬉々として馬車に乗ってジャルジェ家に戻っている。原作連載当時の私は、「お世話になったおばさん、残して行っちゃうの?仕事はいきなりフェードアウト?」と突っ込んだものだ。だがここはアニメ版では修正され、「わたしはこの町(パリ)が好き」と言ってパリに残る。
アニメ版ではこれ以降、終盤になるまでロザリーの登場はない。原作ではこの後、ジャルジェ家に侵入した黒い騎士ことベルナールにロザリーが拐われてパレ・ロワイヤルに監禁されていたところに、助けに来たはずのオスカルが捕まって一緒に監禁されて、オスカルを追ってきたアンドレが2人を救出して、逆にベルナールが捕獲されてジャルジェ家に軟禁されて、その間にロザリーとベルナールが仲良くなって2人でパリに帰還するという回りくどい話になっていた。軟禁中にベルナールは「(貴族は) 自分では何も生み出さず、人が作ったものを食べ、人が作ったものを着て、貧しい民衆に寄生して暮らしている」 「(近衛隊は)王宮の飾り人形」などの罵詈雑言をオスカルに言い放つが、結果、オスカルはベルナールにロザリーを託して釈放し、後に革命側に傾倒していく事になる。一方アニメ版では、アンドレの説得がオスカルの心を動かしてベルナールが釈放され、捕獲された際に負った傷の療養のためにロザリーの家を紹介される。いずれにせよベルナールは、大切なロザリーを託せる男だとオスカルに認められたわけだ。
終盤にロザリーがオスカルと再会した時は、バスティーユ襲撃が間近に迫っており、ゆっくり再会を喜ぶ暇はなく、次に会った時には、オスカルは被弾して瀕死の状態だった。この時原作のロザリーは、瀕死のオスカルの前で泣いたり叫んだりで、連載当時の私(12歳)は 「オスカルはアンドレのところに早く行きたいんだってば!静かにしなさいよ!」と怒ったものだ。一方、第40話「さよなら、我が愛しのオスカル」のロザリーは、目に涙をためつつも静かにオスカルを看取っており、感情を爆発させて絶叫したのは臨終の後だった。ポリニャック家を出た後のロザリーは、原作ではジャルジェ家にいた頃とほとんど変わらなかったが、アニメ版では大人になっていたと思う。
原作連載時、ロザリーの評価は読者の間で真二つに分かれていたと聞いている。ロザリー嫌い!という読者もかなり多かったようで、実は私もその1人だったのだ。当時は嫌いな理由を上手く表現できなかったのだが、今になって考えると、ロザリーが「重い女」だったからなのだと思う。ジャルジェ家にいた頃の彼女は、家族(養母、ジャンヌ、ポリニャック伯夫人、シャルロット)関連で悩んでいる時以外は、オスカル様、 オスカル様、 オスカル様、 オスカル様、オスカル様、オスカル様・・・。ぶっちゃけ、ウザい!
で、試写会が近づいている劇場版に、ロザリーは本当に登場しないのだろうか。ロザリーの他、ジャンヌやポリニャック伯夫人も予告編に登場していないので、彼女らが誰も出ないとなると、ベルばらが全く別の話になってしまいそうで不安だ。明日の試写会で詳細が明らかになると思うが、さて如何に・・。ちなみに、私は抽選に外れたので見に行けません。